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東京高等裁判所 昭和52年(う)1770号 判決 1980年2月25日

主文

原判決を破棄する。

本件を東京地方裁判所に差し戻す。

理由

本件検察官の控訴趣意は、検察官大堀誠一作成名義の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、被告人米丸、同澤田こと太田、同平野、同坂井、同塙の弁護人安岡清夫ほか五名、被告人佐村の弁護人田賀秀一共同作成名義の答弁書記載のとおりであり、また被告人らの控訴趣意は、被告人米丸、同平野、同坂井の弁護人兼田俊男ほか五名、被告人佐村の弁護人田賀秀一共同作成名義の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官親崎定雄作成名義の答弁書記載のとおりであるから、いずれもこれを引用する。

第一検察官の控訴趣意中、被告人佐村につき法令適用の誤りがあるとの主張について

所論は要するに、原判決は、昭和四三年九月四日日本大学経済学部本館では午前三時ころから三階三三番教室に被告人佐村を含む約六〇名の全共闘の学生らが集まり、仮処分の執行にあたる執行官やその援助にあたる警察官らに対し、投石、投壜等の方法により抵抗することを共謀し、同日午前五時二〇分ころから同六時一五分ころまでの間、被告人佐村ら全共闘の学生が本館各階から右執行官および警察官らに対し、投石、投壜等をして抵抗した行為と、その間被告人佐村らが同五時四〇分ころから同五時四五分ころまでの間、同館五階北側エレベーターホール窓付近において、被告人米丸、同平野、同坂井ら数名の者と順次前記共謀の意思を相通じ、同館北側路地内に密集し一階エレベターーホール窓から同館内に進入しようとしていた警察官らめがけてコンクリート塊などを多数投下して抵抗し、中村良隆ら六名の警察官(別表一のとおり)を負傷させた行為とを認定したうえ、これら一連の抵抗行為による公務執行妨害罪は包括一罪と認められる旨判示しているが、もし右判断のように本館各階からのすべての抵抗行為と、五階エレベーターホールからの抵抗行為が被告人佐村を含む事前共謀による包括一罪であるとするならば、検察官はこれらすべてを同被告人の訴因として主張しているのであるから、原判決が罪責を問わなかつた同被告人の犯行の一部、すなわち五階エレベーターホールからの抵抗行為のうち、午前五時三〇分ころから同五時四〇分ころまでの間の公務執行妨害およびこれと一所為数法の関係にある西条秀雄に対する傷害致死ならびに森岡康ら一二名(別表二のとおり)に対する傷害の行為についても、同被告人は共謀共同正犯としての責任を負うべきものであるのに、原判決が、被告人佐村の犯行の右部分につき、実行行為の証明がないので他の被告人との権衡上同様に扱うとの理由でその責任を問わなかつたのは、刑法六〇条の解釈、適用を誤つたものである、というのである。

そこで検討してみるのに、被告人佐村については、同被告人に対する昭和四三年九月一五日付起訴状記載の事実、すなわち「被告人らは、昭和四三年九月二日東京地方裁判所民事第九部が債権者学校法人日本大学の申請により行つた、債務者たる日本大学全学共闘会議、日本大学経済学部斗争委員会等所属の学生らに占拠されていた東京都千代田区三崎町一丁目三番所在同大学経済学部一号館等につき、債務者らの右建物に対する占有を解いて債権者の申立をうけた東京地方裁判所執行官にその保管を命じ、執行官は債権者にその使用を許さなければならない等四項目の仮処分決定に基づき、同月四日同地方裁判所執行官田中利正ほか三名および同職務代行者金子和喜が、民事訴訟法第五三六条第二項の規定により援助を要請した警視庁機動隊所属の警視三沢由之ら約六七〇名の警察官の援助のもとに、補助者都築幸次ほか七名を使用して前記経済学部一号館に対する右仮処分の執行を行なつた際、同建物を占拠していたほか数十名の学生らと共謀のうえ、同日午前五時二〇分ころから同六時一五分ころまでの間、右経済学部本館周辺において前記各職務に従事中の執行官および警察官らに対し、同建物内二階ベランダ、3.4階窓および五階屋上等から石塊、コンクリート破片、牛乳空びん、椅子等を投げつけ、あるいは放水するなどして暴行を加え、もつて右執行官および警察官らの前記各職務を妨害したものである。」との、日本大学経済学部一号館(以下本館という。)五階エレベーターホールからの投石を除く本館各階からの公務執行妨害の事実と、同じく同年一二月一三日付起訴状記載の事実、すなわち「被告人は日本大学の学生であるが、昭和四三年九月四日早朝、さきに日本大学の申請により東京地方裁判所民事第九部がなした同大学経済学部本館の占有排除などの仮処分決定執行のため東京都千代田区三崎町一丁目三番二号所在の右経済学部本館に赴いた同地方裁判所執行官一行のうち、執行官都築幸次らが同館北側一階エレベーターホール窓から右仮処分の執行を開始した際、右執行官よりの援助要請に基づき出動中の警視庁第五機動隊長警視青柳敏夫指揮下の同機動隊第四・三・二中隊所属の警察官約一三〇名が、右執行を援助するため同館北側巾約八〇糎の路地内から右一階レベーターホール窓を破壊して同館内に進入しつつあるのを認めるや、同館五階北側窓付近に来合せたほか数名の学生らと共謀のうえ、前記警察官らの右職務の執行を妨害しようと企て、同日午前五時三〇分ころから同五時五〇分過ぎころまでの間、同館五階エレベーターホール北側窓から、かねて同所付近に準備してあつた重さ数キログラムから十数キログラムに及ぶレンガ・コンクリート塊・コンクリートプロツク塊等数十個を、同館内に逐次進入するため右路地内に密集していた前記警察官らめがけて激しく投下し、もつて前記警察官らの職務の執行を妨害し、その際、同機動隊巡査森岡康ら一八名に対し、別紙受傷警察官一覧表記載のとおり加療約一週間乃至一〇ケ月間を要する(但し田北弘道については完治不能)頸椎骨折・同捻挫等の傷害を負わせ、巡査部長西条秀雄(当時三四年)に対しては左前頭部頭蓋骨々折・脳挫傷の傷害を負わせたうえ、同人をして同月二九日午前一一時ころ同区富士見二丁目一〇番四一号東京警察病院において、右傷害に基づく外傷性脳機能障害により死亡するに至らしめたものである。」(別紙受傷警察官一覧表は別紙三のとおり。)との、本館五階エレベーターホールからの投石による公務執行妨害と、これによる西条秀雄に対する傷害致死および森岡康ら一八名に対する傷害の事実とがそれぞれ起訴され、これらが右昭和四三年一二月一三日付起訴状による事実と同一事実について起訴された被告人佐村を除く他の被告人らにかかる事件と併合して審理されたこと、審理にあたり検察官は、右両起訴状に記載された事実は別個の事実であり、別罪を構成するものであることを一貫して主張していたことが明らかである。

ところで審理の結果原判決は、被告人佐村につき罪となるべき事実として、「被告人佐村は、前記のとおり三闘委の班長であり、同年九月三日ころは本館に泊込んでいたものであるが、前記仮処分の執行が行われることを察知した秋田明大らを全共闘の幹部は、同月四日午前三時ころ、本館三三番教室に全共闘の学生を集め、右仮処分の執行を阻止するため、その執行にあたる執行官及びその援助にあたる警視庁機動隊の警察官らに対し、投石、投壜などを行つて徹底的に抵抗しようとの提案をなし、同教室に集まつた被告人佐村を含む約六〇名の全共闘の学生らはこれに賛同し、ここに同被告人は、約六〇名の全共闘の学生らと意思を相通じ、右執行官及び警察官らに暴行を加えてその職務の執行を妨害することを共謀し、そのころ同被告人の持場である本館三階の配置に付いた。他方、東京地方裁判所執行官田中利正外数名及び同職務代行者金子和喜は、同日午前五時前、執行補助者数名、債権者代理人、日本大学職員らと共に本館東南角に赴き、同五時ころ右職務代行者金子和喜において、マイクで、前記仮処分決定の全文を朗読すると共に、同館内にいる学生らに対し、バリケードを除去して、速かに本館から退去するよう促したが、右学生らに、これに応ずる気配がなかつたため、同五時二〇分ころ、右学生らに対し強制執行を行う旨を告げ、直ちに右執行補助者らをして、同館南側正面玄関付近に接近せしめ、更に、同日午前五時二二分ころ、前記のとおり出動の要請を受けて付近に待機していた警視庁機動隊指揮官に対し、民事訴訟法五三六条二項により援助の要請をなし、同指揮官は、これを受けて、同五時二八分ころ、警視庁第二機動隊長警視三沢由之指揮下の多数の警察官を二手に分け、これを本館東南角及び同東北角の両面から接近させると共に、同第五機動隊長警視青柳敏夫指揮下の約一三〇名の警察官を、同館北側一階エレベーターホールの窓から館内に進入させるべく同館北側から接近させ、執行官らは、右警察官らの援助のもとに執行補助者都築幸次外数名を使用して右本館に対する右仮処分の執行を行つた。これに対し、被告人佐村を含む前記多数の学生らは、同日午前五時二〇分ころから同六時一五分ころまでの間、前記共謀に基づき、同館周辺において前記各職務に従事中の執行官及び警察官らに対し、同建物内二階ベランダ、三、四階窓及び四階屋上などから多数の石塊、コンクリート破片、牛乳壜、椅子などを投げつけたり、放水したりして暴行を加え、なお、その間、被告人佐村は、同館北側の幅員約八〇センチメートルの路地(以下、本件路地という)内で、頭上に楯をかざして数珠つなぎになり、右一階エレベーターホール窓から同館内に進入しようとしていた前記第五機動隊第二中隊所属の警察官約四〇名を認め、五時四〇分ころ、同館五階北側エレベーターホール窓付近に居た被告人米丸、同平野、同坂井ら数名の者とも順次前記共謀の意思を相通じ、同時刻ころから同午前五時四五分ころまでの間、同ホール窓から、右路地内に密集している警察官らめがけて、同所に準備してあつた重さ数キログラムに及ぶレンガ、コンクリート塊、コンクリートブロック塊などを多数回投下して暴行を加え、もつて前記執行官及び警察官らの職務の執行を妨害すると共に、右五階エレベーターホール窓からレンガ塊などを投下した暴行により、別紙受傷警察官一覧表1ないし6記載のとおり、前記第五機動隊所属の巡査部長中村良隆ら六名に対し、加療約一週間ないし約四か月間を要する左前腕及び右手背、右下腿打撲等の各傷害を負わせたものである。」(別紙受傷警察官一覧表は別表一のとおり。)との事実を認定し、また被告人米丸、同平野、同坂井につき、罪となるべき事実として、「被告人米丸は全共闘の食対班として同月二日から、同平野及び同坂井は全共闘の写真班として写真撮影のため同月三日から、それぞれ本館に泊り込んでいたが、同月四日午前五時四〇分ころ、被告人米丸は、本館五階北側エレベーターホール付近において、機動隊員らが一階エレベーターホール窓から館内に進入しつつあるのを阻止するため、付近にいた全共闘の学生らと共に、被告人平野、同坂井らに声をかけて協力を強く求め、一方被告人平野、同坂井の両名は、当初は写真撮影に専念するつりでいたものの、全共闘の学生らが一丸となつて機動隊と激しい攻防を繰広げるのを目撃して、次第に全共闘学生らに同調する気持となつていた折柄、被告人米丸らから協力を求められてこれを承諾し、ここに被告人米丸、同平野、同坂井の三名は、そこに居た被告人佐村ら数名の学生らと意思を相通じ、右警察官らに投石などをして暴行を加えその職務の執行を妨害することを共謀し、同日午前五時四〇分ころから同五時四五分ころまでの間、同ホール窓から、右路地内に密集している警察官らめがけて、同所に準備してあつた重さ数キログラムに及ぶレンガ、コンクリート塊、コンクリートブロック塊などを多数回投下して暴行を加え、もつて右警察官らの職務の執行を妨害すると共に、その際の右暴行により、別紙受傷警察官一覧表1ないし6記載のとおり、前記第五機動隊所属の巡査部長中村良隆ら六名に対し、加療約一週間ないし約四か月間を要する左前腕及び右手背、右下腿打撲等の各傷害を負わせたものである。」(別紙受傷警察官一覧表は別表一のとおり。)との事実を認定したのであるが、その判文中「公訴事実に対する判断」の項の「結論」の部分に、当日本館では午前三時ころから三三番教室に約六〇名の全共闘の学生らが集まり、仮処分の執行にあたる執行官やその援助にあたる警察官らに対し、投石、投壜等の方法により抵抗することを確認し、同日午前五時二〇分ころから同六時一五分ころまでの間全共闘学生らによつて本館名階から右執行官および警察官らに対し、投石、投壜等の抵抗がなされたが、五階エレベーターホールにおける犯行は、同所以外でなされた右抵抗行為とは全く別異のものではなく、これら一連の抵抗行為の一部と認められるとし、さらに被告人佐村の昭和四三年九月一五日付起訴状による公務執行妨害罪と、同年一二月一三日付起訴状による公務執行妨害罪とは包括一罪と認められる旨をも判示する一方、被告人佐村を除く他の被告人らについて五階エレベーターホールにおける現場共謀にもとづく投石の訴因についてのみ罪責の有無を明らかにするにとどめることとしたうえ、被告人澤田こと太田、同塙については五階エレベーターホールにおける犯行に加わつた証明がないとして起訴事実全部を無罪とし、またその余の各被告人については、五階エレベーターホールにおける犯行のうち午前五時三〇分ころから同五時四〇分ころまでの間の同所における公務執行妨害と西条秀雄に対する傷害致死および森岡康ら一二名(別表二のとおり)に対する傷害については犯行に加わつた証明がないとし、被告人米丸、同平野、同坂井については右部分の罪責を問わず、また五階エレベーターホール以外の場所での犯行も起訴されている被告人佐村についても、右ホールにおける犯行については他の被告人との権衡上同様に扱うこととした旨を判示して、右部分の責任を問うていないのである。

記録によれば、被告人佐村に対する昭和四三年九月一五日付起訴状による事実と、同年一二月一三日付起訴状による事実とは、共に同一仮処分決定の執行に際してなされた日本大学経済学部本館の占拠学生による妨害行為であり、犯行の日時、場所、態様からみても一連の抵抗行為と認めるのが相当であるので、原判決が、五階エレベーターホールにおける犯行が同所以外でなされた抵抗行為とは全く別異のものではなく、これら一連の抵抗行為と認められるとし、両事実における公務執行妨害罪は包括一罪と認められると判断しているのは正当である。ところで関係各証拠によれば、被告人佐村は同日午前三時ころ本館三三番教室において行われた集会に参加し警察官と闘う決意をし、全共闘三闘委の班長として本館三階を守るように指示され配置についており、五階エレベーターホールにおける犯行が開始されるよりも前に本館三階付近の窓から投壜などをしていることも明らかであるので、同被告人については本館三三番教室における事前共謀にもとづく一連の抵抗行為のすべてが訴因とされているのであるから、右一連の抵抗行為の中に含まれる五階エレベーターホールにおける犯行について、かりに同被告人がその実行行為の一部に加わつていなかつたものとしても、そのすべての行為につき共謀共同正犯としての責任を負わなければならないことは当然である。したがつて同被告人について前記認定された事実につき行為の違法性についての判断を含め有罪としている以上、同被告人が五階エレベーターホールに居たことが明らかでないとされる同日午前五時三〇分ころから同五時四〇分ころまでの間の投石による公務執行妨害ならびにこれと一所為数法の関係にある西条秀雄に対する傷害致死および森岡康ら一二名(別表二のとおり)に対する傷害の点についても、同被告人の有罪とすべきものであつたのである。しかるに原判決が、五階エレベーターホールにおける犯行のみが訴因とされている他の被告人らとの権衡をもち出し、被告人佐村の事前共謀にもとづく本館における一連の犯行を認めながら、同ホールにおける犯行の一部すなわち右の公務執行妨害、傷害致死、傷害の点のみを有罪としなかつたのは、つまるところ共同正犯に関する刑法六〇条の解釈ないし適用を誤つたもので、右部分について同条をあえて適用しなかつた違法があるというべく、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。したがつて、被告人佐村についての右論旨は理由がある。

第二検察官の控訴趣意中、被告人佐村を除く各被告人につき訴訟手続の法令違反があるとの主張について

所論は要するに、原判決は、被告人澤田こと太田、同塙の両名が、五階エレベーターホールにおける犯行に加わつた証明がないとし、また被告人米丸、同平野、同坂井が、同ホールにおける犯行のうち、右被告人らが犯行に加わつたとする午前五時四〇分以前の公務執行妨害ならびにこれと一所為数法の関係にある西条秀雄に対する傷害致死および森岡康ら一二名(別表二のとおり)に対する傷害の点について証明がないとしながら、その一方において「当日日本大学経済学部本館では午前三時ころから本館三階三三番教室に約六〇名の全共闘の学生らが集まり、仮処分の執行にあたる執行官やその援助にあたる警察官らに対し、投石、投壜等の方法により抵抗することを確認したうえ、同日午前五時二〇分ころから同日午前六時一五分ころまでの間、全共闘学生らによつて本館各階から右執行官及び警察官らに対し、投石、投壜等の抵抗がなされたことが認められ、本件訴因の、五階エレベーターホールにおける犯行は、同所以外でなされた右抵抗行為と全く別異のものではなく、これら一連の抵抗行為の一部と認められるから、本件訴因に関し被告人ら六名について犯罪の証明がないとした部分についても、共謀の点(その時期、場所等)につき訴因を変更することにより、いわゆる共謀共同正犯として責任を問い得る余地がある」旨を判示しているのであるが、そもそも共謀の態様が現場共謀であるか事前共謀であるかということは、別に法律的構成を異にするものでなく、訴因の変更は必要でないから、たとい検察官が五階エレベーターホールにおける犯行はその実行行為者間における現場共謀によるものと主張していても、審理の結果原裁判所が事前共謀にもとづく共謀共同正犯であるとの心証に達したのであるならば、全共闘による抵抗を標ぼうしつつ団結して本館内にたてこもつていたことは明白である右各被告人に対し、それぞれ実行行為に加わつた証明がないとされた部分についても、共謀共同正犯としての責任を問うべきものであり、訴因の変更がなされていないことを前提に右部分について有罪としなかつたのは、刑訴法二五六条三項、三一二条一項、二項の解釈を誤つて審理裁判をしたもので、その訴訟手続は違法である。かりに右の点につき訴因の変更を必要とするものとしても、本件は原裁判所が訴因変更を命ずべき義務がある事案である。すなわち被告人佐村を除く各被告人については、検察官の主張する訴因を前提とする限り、証拠上その全部または一部を無罪とするほかはなくとも、共謀の態様を現場共謀から事前共謀に訴因変更しさえすれば、証拠上各起訴状記載の公訴事実そのものが認定できることが明白であり、しかもその罪が西条秀雄に対する傷害致死および多数者に対する傷害という相当重大なものであるから、原裁判所としては、検察官に対し訴因の変更を命じたうえでこの点につき審理裁判をすべきであつたのに、訴因の変更を命ずることなく審理を終結し、右各被告人の刑事責任の全部または一部を不問に付したものであつて、原裁判所としては刑訴法三一二条二項の解釈を誤つた結果、訴因変更を命ずべき義務を怠つたものというほかはなく、原判決には審理不尽の違法がある、というのである。

そこで検討してみるのに、原判決が、五階エレベーターホールにおける犯行は、同所以外の本館各階からなされた事前共謀にもとづく抵抗行為と別個のものではなく、これら一連の抵抗行為の一部と認められる旨を判示していることは前述のとおりであり、また、被告人澤田こと太田、同塙の両名について五階エレベーターホールにおける犯行に加わつた証明がないとし、被告人米丸、同平野、同坂井についても、同ホールにおける犯行のうち、右各被告人が犯行に加わつた時点であるとする午前五時四〇分過ぎころより前である同五時四〇分以前の公務執行妨害ならびにこれと一所為数法の関係にある西条秀雄に対する傷害致死および森岡康ら一二名(別表二のとおり)に対する傷害の点について証明がないとしながら、なおこの部分についても、共謀の点(その時期、場所等)につき訴因を変更することにより、いわゆる共謀共同正犯として責任を問い得る余地のある旨を判示していることは、所論のとおりである。しかしながら、共謀の態様が現場共謀であるか、それとも事前共謀であるかということは、法律的構成を異にするものとはいえないにしても、本件審理を通じ検察官の主張する現場共謀を前提として被告人らが防禦の手段を講じてきたものを、いきなりこれを全く異る事前共謀を認定しその罪責を問うことは、被告人らに不意打ちを与え、防禦の機会を奪うことになるから許されず、そのためにはやはり訴因の変更手続が必要であるといわなければならない。したがつて右各被告人につき前記有罪とされなかつた部分について、訴因変更の措置をとることなく事前共謀による共謀共同正犯の責任を問うことはできないから、この点について原判決にはなんら違法のかどはない。

そこで次に、原裁判所が右の点につき訴因変更を命ずべき義務があつたかどうかについて検討する。

記録を検討すると、被告人佐村以外の各被告人については、被告人佐村と異なり、五階エレベーターホールからの投石による公務執行妨害と、これによる西条秀雄に対する傷害致死および森岡康ら一八名(別表三のとおり)に対する傷害の事実についてのみ起訴されていることは前述のとおりであり、検察官も起訴状について、被告人らの共謀の態様は当日午前五時二九分ころ五階エレベーターホール付近での現場共謀による実行正犯である旨を釈明していることからもうかがえるように、右各被告人については同ホール付近における現場共謀にもとづく行為が訴因とされていることが明らかである。そして原判決は、この訴因を前提として、被告人澤田こと太田、同塙が、そのころ、五階エレベーターホールに行つたことが証拠上明らかでなく、犯罪に加功したことの証明がないとして右両名を無罪とし、また被告人米丸、同平野、同坂井について、同ホールにおける犯行のうち右各被告人が犯行に加わつた時点であることが証拠上明らかであるとする午前五時四〇分過ぎころより前である同五時四〇分以前の公務執行妨害ならびにこれと一所為数法の関係にある西条秀雄に対する傷害致死および森岡康ら一二名(別表二のとおり)に対する傷害の点について証明がないとし、右以外の点についてのみ有罪としているのである。ところで、原裁判所に訴因変更を命ずべき義務があつたかどうかを検討するにあたつては、右各被告人につき、本件の訴因を前提とした原判決の前記のような事実認定に関する判断の当否および事前共謀による共同正犯としての責任を問う余地のあることが明らかであつたかどうかが問題となるが、記録によれば、後記のような限度においていずれもこれを是認すべきものと考える。すなわち被告人澤田こと太田、同塙についてみると、右両名が五階エレベーターホールに行つたことの証明がないとした原判断の当否には疑問がないわけではないが、記録上、少なくとも同ホールにおける犯行のうち午前五時四〇分以前の行為について責任を問うていない限りにおいて原判断を是認せざるを得ないところ、原審において取調べた各証拠によれば、被告人澤田こと太田は全共闘の一員として本館内に泊り込み、原判決がその判文中に認定判示している集会、すなわち当日午前三時ころから本館三三番教室に約六〇名の全共闘の学生が集まり仮処分の執行にあたる執行官やその援助にあたる警察官らに対し投石、投壜等の方法により抵抗することを確認し合つたという集会に参加してその意思を通じ合つていること、被告人塙は全共闘三闘委の委員長として本館内に泊り込み、右集会の直後機動隊の導入に備えて班編成、持場の指示などを行い、これまた全共闘の学生らと右抵抗の意思を通じ合つていること、同じくその後同日午前五時二〇分ころから同日午前六時一五分ころまでの間全共闘の学生らによつて本館各階から右執行官および警察官らに対し投石、投壜等の抵抗がなされた際に、右被告人両名はそれぞれその一部の実行行為に加わつていることが明らかである。また被告人米丸についてみると、五階エレベーターホールにおける犯行にどの時点から加わつたかは、これまた記録上原判断を是認せざるを得ないところ、原審において取調べた関係各証拠によれば、同被告人は全共闘食対班の一員として本館内に泊り込み、右三三番教室の集会に参加したかどうかは明らかでないが、おそくともその直後ころには同教室に赴き、右執行官および警察官らに対し投石、投壜等の方法により抵抗することを決意した他の全共闘の学生らとその意思を通じ合い、ヘルメットと軍手を受取り、食事に関する書類を焼き捨てるため執行部の者に渡し、本館にたてこもつた者らへの食糧や救護室の進備などに携わつたほか、原判決がその判文中に認定判示しているような同日午前五時二〇分ころから午前六時一五分ころまでの間全共闘の学生らによつて本館各階から右執行官および警察官らに対し投石、投壜等による抵抗がなされた際、少なくとも救護活動にあたるなどしてこれに参加しており、その後五階エレベーターホールにおける犯行にも加わり現に自ら積極的に投石をしていることが明らかである。さらに被告人平野、同坂井についてみると、原判決は、関係証拠ことに写真の撮影時刻などをこまかく分析検討したうえ、西条秀雄を含む負傷警察官の各受傷時刻、被告人らが五階エレベーターホールにおける犯行に加つた時刻とをきわめて詳細に認定判示し、右被告人らが犯行に加われる以前に受傷したことが明らかであるとした西条秀雄ほか警察官一二名(別表二のとおり)に対する公務執行妨害、傷害致死、傷害の点についてその証明がないとしているのであるが、もともと本件につき証拠とされた写真の撮影時刻の記載には正確さを欠くものが多く含まれているなどのこともあり、右判断の当否については問題がないではないが、記録上あらわれた証拠の中で検討する限りにおいては原判断を覆えすには足りないので、これを是認せざるを得ないところ、原審において取調べた関係各証拠によれば、被告人平野は、全共闘関係の闘争記録写真班の一員として本館内に泊り込んでいたが、右三三番教室の集会に参加したかどうかは必ずしも明らかでなく、その後被告人坂井らとともに本館四階から隣の教会屋上に渡された板をつたつて一たん外に出たが、被告人坂井とともに再び本館内に戻つたものであり、当初は写真撮影に専念するつもりでいたもののやがて全共闘の学生らに同調する気になり、少なくとも五階エレベーターホールにおける犯行が開始されるよりも前に、すでに五階テラス東南角において、本館各階から右執行官および警察官らに対し投石、投壜等の抵抗をしている全共闘の学生らと意思を相通じ、東光電気工業株式会社角付近において放水していた機動隊めがけて投石し、また四階屋上金網西北角付近において投壜をしていることが明らかであり、被告人坂井も被告人平野と同じく全共闘関係の闘争記録写真班の一員として本館内に泊り込み、右三三番教室の集会に行つて演説を聞き、その後本館四階から隣の教会屋上に渡された板をつたつて一たん外に出たが、心情的にひかれて被告人平野とともに再び本館内に戻つたものであり、当初は写真撮影に専念するつもりでいたものの次第に全共闘の学生らに同調する気持をつのらせていたところ、被告人平野に呼ばれて四階屋上金網付近に赴き、そこで右学生らに投石用の石を運ぶように言われて諾承し、同所付近にあつた石を女子便所のある付近まで運んだことが明らかで、その後被告人平野の投石を制止したことがあつたにしろ、関係各証拠によつて認められるその前後の状況からみて、右のように石を運んだのはおそくとも五階エレベーターホールにおける犯行が開始される前のことであつたとみられるのである。したがつて被告人澤田こと太田については当日午前三時ころの三三番教室における集会に参加した時点において、被告人塙、同米丸については右集会の直後ころの時点において、また被告人平野、同坂井については五階エレベーターホールにおける犯行が開始される直前ころの時点において、いずれも本館内におけるそれぞれの場所で、本館内にたてこもり執行官および警察官らに対し投石、投壜等の方法による抵抗を決意しあるいは抵抗をしていた全共闘の学生らと意思を通じ合うに至つたものであることが記録上明らかであるといわなければならない。そうだとすると、右各被告人については、検察官の主張する訴因を前提とする限り、たとい証拠上五階エレベーターホールにおける犯行の全部または一部を無罪とするほかはなくとも、もともと右ホールにおける犯行は同所以外の本館各階からなされた事前共謀にもとづく一連の抵抗行為の一部と認めるべきものであることは前述のとおりであり、原判決もそのように判断しているのであるから、同一の公訴事実の範囲内で右各被告人につき共謀の時期および場所について訴因を変更しさえすれば、右の無罪とした部分についても共謀共同正犯としての責任を問い得ることが証拠上明らかであり、右各被告人が、行為の違法性についての判断を含めて有罪とされる可能性が十分にあつたものである。しかも右無罪とされた部分は、尊い人命を奪うに至つた西条秀雄に対する傷害致死および多数者に対する完治不能の重傷を含む傷害という、まことに重大な犯罪にかかるものである。記録によれば、原裁判所は原審第五四回公判において検察官に対し、本件傷害、同致死、公務執行妨害に関し、共謀の点等について訴因を変更するとか、他の場所での公務執行妨害を予備的に追加する意思がないかと、その意向を打診し、検察官にその意思のないことを確認したうえで、従前の訴因について判決をしていることが明らかであるけれども、一連の抵抗行為にかかる同一公訴事実の中で共謀の時期および場所について訴因を変更しさえすれば、証拠上、右のような重大な犯罪について共謀共同正犯としての責任を問い得る余地があり、そのことは原審もこれを認め原判文中に説示するくらいの心証に達していたのであるから、右各被告人に対する本件と併合審理され、事前共謀にもとづく本館における一連の犯行のすべてにつき起訴されている被告人佐村に対する訴因との関係においても右の点を不問に付すべきではなく、原裁判所としては、本件のような場合にはまさに、検察官に対し、訴因変更の意思があるかどうかの意向を打診するにとどまらず、取調べた証拠によつて自ら得た心証と判断に従い、訴因変更を命じ、あるいは少なくともこれを積極的に促すべき義務があつたものといわなければならない。もつとも原判決は、訴因変更の措置をとらずそのまま判決をした理由として、「本件審理の経過即ち、検察官は、本件審理の当初から、当日の日本大学経済学部本館における全共闘の学生らによる執行官および警官察らに対する投石、投壜等の犯罪行為のうち、五階エレベーターホールにおけるそれは、同所以外の場所でなされたものとは全く別個の犯罪であつて、同ホールにおける現場共謀に基づくものであると主張し、被告人らが、これを前提として防禦手段を講じてきたものであること、検察官が本件第五四回公判において、被告人らにつき、前記の如き訴因を変更する意思がないことを表明していること及び当日の経済学部本館における投石等の犯行に関与したもののうち、本件訴因で公訴を提起されたものは、いずれも当目五階エレベーターホールに居て、投石等の犯行に加担したとされた者のみであつて、同ホールに居なかつたのにかかわらず、いわゆる共謀共同正犯としてその責任を問われたものがないこと等の事情を勘案すれば、本件につき訴因の変更を命ずることが妥当な措置であるとは考えられないので、訴因の変更を命じないこととし、本件訴因について、その罪責の有無を明らかにするにとどめることとした」と判示している。記録によれば、検察官は前述のとおり本件審理の当初から、当日の本館における全共闘の学生らによる執行官および警察官らに対する投石、投壜等の犯罪行為のうち、五階エレベーターホールにおけるそれは、同所以外の場所でなされたものとは全く別個の犯罪であつて、同ホールにおける現場共謀にもとづくものであると一貫して主張し、被告人らおよび弁護人らが長期にわたる本件審理を通じ右検察官の主張を前提として防禦の手段を講じてきたこと、また検察官が、原審における結審直前の第五四回公判において、原裁判所が訴因変更についての意向を打診したにもかかわらず、なお訴因変更の意思がないことを表明していることが明らかである。このような本件審理を通じてなされた検察官の見解、主張、意思表明を前提として長期にわたり防禦手段を講じてきた被告人らおよび弁護人らの立場を考えるならば、原裁判所が今さら訴因変更を命じてまで右各被告人の責任を追及することなく判決に及んだことも理解し得ないわけではないが、被告人らの防禦権については訴因変更後あらためてその機会を与えればよく、そのためかりに審理がさらに長びくことがあつてもやむを得ないところであるし、また検察官の意向表明も原裁判所の意向打診に対して示されたものであつて、訴因変更命令にも従わないとするほどのものとは解されず、さらに五階エレベーターホールに居なかつたのにかかわらず共謀共同正犯としてその責任を問われた者がないとの点については量刑上斟酌すれば足りることであるから、いずれも訴因変更を命じ、またはこれを積極的に促すべき義務を左右するほどの事情とは認め難い。そうだとすると、原裁判所が右のような訴因変更を命じ、またはこれを促すべき義務がありながらその責務を尽くさず、検察官主張の五階エレベーターホールにおける現場共謀による実行正犯という訴因についてのみ罪責を明らかにするにとどめ、被告人澤田こと太田、同塙については犯罪に加わつた証明がないとしていずれも無罪とし、また被告人米丸、同平野、同坂井については、同ホールにおける犯行に加わつたことが証拠上明らかであるとする午前五時四〇分過ぎころ以後の行為についてのみ有罪としてそれ以前の行為について犯罪の証明がないとして判決をしたのは、審理を尽くさなかつた違法があるものというほかはなく、この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。なお、検察官が原審の審理を通じて前記のような本件訴因に対する見解ないし態度をとつていたからといつて、右に述べてきたようにその点を考慮に入れてもなお原審が訴訟手続に審理を尽くさなかつた違法がある以上、検察官がこの点を控訴の理由とすることを妨げるものではない。結局被告人佐村を除く各被告人についての右論旨もまた理由がある。

そうだとすると、その余の検察官の控訴趣意及び弁護人の控訴趣意につき判断するまでもなく、原判決は全部破棄を免れない。

よつて刑訴法三九七条一項、三八〇条、三七九条により原判決を破棄し、本件につきさらに審理を尽くさせるため刑訴法四〇〇条本文により、本件を原裁判所である東京地方裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

(堀江一夫 石田穣一 浜井一夫)

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